「実るほど頭を垂れる稲穂かな」
北谷町北前のハンビー地域に立地する当園周辺一帯は、過去において沖縄県内の三大美田地帯のひとつ「北谷ターブックヮー」として名を馳せていたと聞きます(左の写真)。今日ではその面影さえない都市部へと様変わりしましたが、当園園舎正面に北前第3公園がありその公園に隣接して佐阿天川(普天間川)が流れ、その水で涵養される水田地帯までをそのように呼んでいたようです。(参考:北谷町史 第1巻 通史編)
その地で生まれ育った先人の方々は、子どもたちを教育していく言葉として方言で「実ー入らー、首 折ーりり(ミーイラー、クビ ヲゥーリリ)」という言葉を残してきました。すでに他界した私の親先祖からもよく言われたものです。いわゆる、現代の言葉に言い換えますと、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」に同等だと理解しております。
昔に比べて現代は生活が豊かになり、ややもすると当時を知らない子どもたちは、自分の(個人の)力だけで生きているとして社会や周囲に対する感謝の心が失われ易い世の中を流れる生活をしているのかもしれません。このような風潮の今だからこそ、先人の方々の心を伝えていかなければならない責務があるものと感ずるのであります。大切な幼児期の子どもたちと共にこの地で暮らす私たち大人の務めとして、その稲穂の心を伝える組織としたいという願いを込めて命名したものであります。
(※上段左の添付写真は1950年代初頭頃の当園付近の様子です。沖縄県公文書館よりご提供いただきました。また、下段の写真は現在(令和5年5月12日)の当園付近の遠景です。)
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子どもたちの生命力を引き出し育む森づくり
生命の宝庫と呼ばれる森と海。本園園舎周辺には西に東シナ海および安良波公園、南(園舎正面)に北前第三公園および佐阿天川(普天間川)という自然環境にあります。子どもたちは常に昆虫など小さな生き物とふれあい、タンポポやシロツメクサを摘んで息を吹きかけてみて花束や花の首飾りをつくったり、四つ葉のクローバーを見つけて満面の笑みを浮かべたり、さらには小鳥のさえずりを耳にしながら緑の環境からそよぐさわやかな風を感じとり、まさに大自然の中の命と触れ合って自身の感性・生命力を引き上げていって欲しいと願う園の方針と全く異にすることない立地環境です。
当園は教育方針として、「子どもには、生まれながら自ら成長発達し、やがて自分の人格を形成する生命力がそなわっています。このような理解に基づき、子どもたちが自分自身の意思を働かせ自発的に行動できる環境を整え、集中力・忍耐力・自主性・社会性・創造性を育み、知性と情操と調和のとれた発達を助長して、自立を援助する教育を行ないます。」と、謳っています。
恵まれた周囲の立地環境だけではなく、人間の、否、全ての生物の生命力の基盤を成す大自然に畏敬の念を持ちつつ共存共生の社会を目指して、私たちにできる園舎内外の環境を整えて子どもたちの生命力をしっかりと引き出し育む真の森づくりに精進していこうという決意を込めて「子どもの森」と名付けました。